はじめに
タイの労働規制の枠組みは、主として仏暦2541年労働者保護法(以下「労働者保護法」といいます。)によって定められています。同法は、雇用条件、賃金、労働時間、従業員の福利厚生および解雇時の保護に関する最低基準を規定しています。労働者保護法は、雇用主の事業運営上の必要性との均衡を図りつつ、従業員の公正な取扱いを確保することを目的としています。
タイで事業を行う企業にとって、国内企業であるか外資企業であるかを問わず、労働者保護法を理解することは不可欠です。法定の雇用基準を遵守しない場合、行政上の制裁、民事上の責任、およびレピュテーションリスクが生じる可能性があります。さらに、不適切な解雇、未払賃金、または労働時間規制違反に起因する紛争は、労働裁判所における訴訟に発展することが少なくありません。
本稿では、労働条件、賃金支払要件、福利厚生、解雇に関するルール、および法令違反に対する罰則を含む、雇用主に関連する労働者保護法の主要規定について概説します。
1. 労働者保護法の適用範囲
労働者保護法は、タイにおける雇用関係にある雇用主および従業員に広く適用されます。労働者保護法第5条では、以下のように定義されています。
- 雇用主とは、賃金を支払うことを対価として他人を雇用して就労させることに合意した者をいいます。
- 従業員とは、賃金を対価として雇用主のために就労することに合意した者をいいます。
労働者保護法は、原則として、雇用主または従業員の所有地を問わず、タイにおける雇用関係に広く適用されます。ただし、公務員、国営企業の従業員および一部の農業労働など、別個の法令または規則により規律される分野もあります。
雇用契約に異なる定めがある場合であっても、雇用主は労働者保護法に基づく法定最低基準を遵守しなければなりません。同法が求める基準よりも不利な条件を定める契約条項は無効とされ、同法の規定が当然に適用されます。
この原則は、交渉力の差にかかわらず、従業員に最低限の保護が保障されることを目的とするタイ労働法の保護的性格を反映するものです。
2. 労働時間および時間外労働に関する規制
タイ法に基づく労働者保護の中心的な要素の一つは、労働時間および時間外労働に対する割増賃金に関する規制です。
労働時間
労働者保護法第23条に基づき、従業員の労働時間は雇用主が定めて周知しなければならず、1日8時間、週48時間を超えてはなりません。
健康または安全に有害とされる業務については、法令上、より厳格な上限が設けられています。同条によれば、有害業務に従事する従業員の労働時間は、1日7時間、週42時間を超えてはなりません。
雇用主は、労働者保護法に従って時間外労働を行わせる場合を除き、従業員にこれらの上限を超えて労働させないようにしなければなりません。
休憩時間
第27条に基づき、従業員は、5時間連続して労働した後、少なくとも1時間の休憩時間を与えられなければなりません。もっとも、雇用主と従業員が合意する場合には、1回あたりの休憩時間をこれより短くすることは可能ですが、1日当たりの休憩時間の合計は1時間を下回ってはなりません。
週休日
第28条に基づき、従業員には少なくとも7日に1回、週休日を少なくとも1日付与しなければなりません。
法定の休憩時間を付与しない場合、雇用主は行政上の制裁や補償請求を受ける可能性があります。
3. 時間外労働および休日労働
労働者保護法は、従業員を過度な労働時間から保護するため、時間外労働を厳格に規制しています。
同意要件
第24条に基づき、雇用主は、従業員の事前の同意なく時間外労働を命じることはできません。ただし、雇用主の事業に損害が生じるのを防ぐために緊急かつ必要な場合は、この限りではありません。
この要件は、時間外労働が、ほとんどの場合において任意でなければならないという原則を反映するものです。
時間外労働手当
第61条に基づき、通常労働日における時間外労働については、通常の時間給の少なくとも1.5倍の率で支払わなければなりません。
休日労働手当
従業員が休日に労働した場合、雇用主は、第62条に基づき、追加の手当を支払う必要があります。休日にも賃金が支払われる従業員については、通常賃金の少なくとも1倍、休日に賃金が支払われない従業員については、通常賃金の少なくとも2倍を支払う必要があります。
さらに、従業員が休日に時間外労働を行った場合には、支払率は通常の時間給の3倍に引き上げられます。
未払時間外労働手当に関する紛争は労働訴訟でよく争われるため、雇用主は、時間外労働および休日労働に対する支払を正確に計算できる給与計算体制を整備する必要があります。
4. 賃金支払に関する要件
労働者保護法は、従業員にとっての賃金保障の重要性を踏まえ、賃金の支払に関して厳格なルールを定めています。
賃金の定義
第5条に基づき、賃金には、雇用主が従業員に対して、その労務の対価として支払うすべての金銭が含まれます。
支払時期
第70条に基づき、一定の業務について別段の合意がある場合を除き、賃金は少なくとも月1回支払わなければなりません。
支払方法
第54条および第55条に基づき、賃金は原則としてタイ通貨で、従業員本人に直接支払わなければなりません。もっとも、従業員が同意する場合には、銀行振込による支払も可能です。
雇用主は、法令により認められる場合を除き、賃金から無断で控除を行うことはできません。
認められる賃金控除
第76条に基づき、賃金控除が認められるのは、以下の場合に限られます。
- 所得税
- 社会保険料
- 労働組合費
- 従業員の利益のみを目的とする協同組合または福利厚生(従業員の同意がある場合)
- 従業員が故意または重大な過失により生じさせた損害に対する保証金または損害賠償(法令上の制限に従う)
なお、法令上の根拠なく賃金を控除した場合、労働裁判所における請求につながることが多い点に留意が必要です。
5. 従業員の休暇に関する権利
タイ労働法は、雇用主に対し、法定の複数の種類の休暇を付与することを求めています。
年次休暇
第30条に基づき、1年間継続して勤務した従業員は、年間少なくとも6労働日の年次休暇を取得する権利を有します。
雇用主は、法定の最低基準を超えて、福利厚生として追加の休暇を付与することもできます。
病気休暇
第32条によれば、従業員は、必要に応じて病気休暇を取得する権利を有し、そのうち年間30日までは有給としなければなりません。
雇用主は、連続して3日以上の病気休暇について、診断書の提出を求めることができます。
産前産後休暇
第41条に基づき、女性従業員は、出産前後の期間を含めて、最大120日の産前産後休暇を取得する権利を有します。産前産後休暇中については、以下のとおりです。
- 雇用主は、60日分の賃金を支払う必要があります
- 追加の補償は、社会保障基金を通じて支給される場合があります。
配偶者出産休暇
第41条の1に基づき、配偶者が出産した男性従業員は、15日を超えない範囲で配偶者出産休暇を取得する権利を有します。
私用休暇
第34条に基づき、従業員は、年間少なくとも3労働日の私用休暇を取得する権利を有します。
6. 雇用契約の終了(解雇)
雇用の終了は、タイ労働法において最も慎重な対応が求められる分野の一つです。
予告要件
労働者保護法第17条に基づき、原則として、従業員を解雇しようとする雇用主は、少なくとも1賃金支払期間に相当する期間の事前予告を行わなければなりません。もっとも、3か月を超える事前予告は要求されません。
また、雇用主は、予告に代わる賃金を支払うことにより、即時に雇用を終了させることもできます。
7. 解雇補償金の支払義務
解雇補償金は、タイ労働法の下で認められる最も重要な法定保護の一つです。
労働者保護法第118条に基づき、正当事由なく解雇された従業員は、勤続年数に応じて解雇補償金を受け取る権利を有します。
現在の解雇補償金支給基準は以下のとおりです。
| 勤続年数 | 解雇補償金 |
| 120日以上 – 1年未満 | 30 日分 |
| 1年以上 – 3年未満 | 90日分 |
| 3年以上 – 6年未満 | 180日分 |
| 6年以上 – 10年未満 | 240日分 |
| 10年以上 – 20年未満 | 300日分 |
| 20年以上 | 400日分 |
これらの解雇補償金支払義務は、解雇が法令に定める例外事由に該当する場合を除き、適用されます。
8. 解雇補償金を不支給とできる解雇
第119条に基づき、従業員が重大な非違行為を行った場合、雇用主は解雇補償金を支払うことなく当該従業員を解雇することができます。具体例としては、以下が挙げられます。
- 雇用主に対する不正行為または犯罪行為
- 雇用主に故意に損害を与えること
- 雇用主に重大な損失を生じさせる重大な過失
- 書面による警告を受けた日から1年以内の就業規則違反、または就業規則に対する重大な違反
- 3営業日連続の職務放棄
- 従業員が確定判決により拘禁刑に処せられた場合
もっとも、第119条に基づく解雇を行う場合、立証責任は雇用主にあるため、雇用主は慎重に対応する必要があります。裁判所が当該非違行為を重大なものではないと判断した場合、雇用主は、不公正解雇に基づき、なお解雇補償金および損害賠償の支払を命じられる可能性があります。
9. 法令違反に対する罰則
労働者保護法違反は、刑事罰の対象となる場合があります。例えば、以下のような場合です。
- 賃金または時間外労働手当の不払いは、第144条から第152条などの規定に基づき、罰金または拘禁刑(またはその両方)の対象となる可能性があります。
- 賃金、時間外労働手当または解雇補償金を支払わない雇用主は、刑事責任を問われる可能性もあります。
実務上、労働紛争は、交渉、労働者保護局の労働監督官による調停、または労働裁判所における訴訟を通じて解決されるケースが多くあります。
10. タイにおける労務リスクの管理
タイで事業を行う雇用主は、労働紛争を最小化するため、効果的な人事労務管理体制を整備する必要があります。主な対応策には以下のような対応が挙げられます。
- 明確な雇用契約書を書面で整備・管理すること
- 適法な就業規則を整備し、書面化すること
- 適時に適切な懲戒調査を実施すること
- 従業員の不正・違反行為を記録として残すこと
- 賃金および時間外労働に関する法令遵守を徹底すること
法令遵守を徹底することは、法的リスクの低減に資するだけでなく、生産性が高く安定した職場環境の構築にもつながります。
結論
仏暦2541年労働者保護法は、タイにおける従業員保護の基盤を成すものであり、賃金、労働時間、福利厚生および解雇手続に関する最低基準を定めています。
雇用主にとって、同法の遵守は単なる法的義務にとどまらず、責任ある事業運営を行う上で不可欠な要素です。法定の雇用保護を誤解し、または軽視した場合、高額な訴訟費用や信用の毀損につながる可能性があります。
労働者保護法の要件を正しく理解し、適切な人事労務管理方針を整備することにより、企業は、公正かつ適法な雇用慣行を維持しながら、労務リスクを効果的に管理することができます。
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